田中 理 先生

(浜松スクエアダンス愛好会 創立者)

   浜松スクエアダンス愛好会の創立者であり日本SD界の指導者であった

 県教育委員会、小学校校長の仕事をしながらSDの普及発展に努め、私達

 にはSDの正しく楽しい踊り方と会の運営について指導してくれました。

 

 田中先生のSD史

 

 昭和27年 青年団の仲間を中心に、浜松スケヤーダンス倶楽部を設立する。

 昭和35年 浜松フォークダンス倶楽部と名称が変わる。

 昭和38年 浜松スクエアダンスコーラーズ協会を作り、第1回ビギナーズ

     クラスを開く。半年後に浜松スクエアダンス愛好会を設立する。

 昭和41年 日本スクエアダンス指導者連絡協議会が発足し理事となる。

 昭和43年 中部地区スクエアダンス団体連絡協議会を結成し会長となる。

 昭和44年3月 第1回東海地区SDジャンボリーを開催。(参加者600名)

 昭和47年5月 第1回中部地区SD指導者研修会が浜松三ケ日青年の家で開催

  同年 9月 第11回日米交歓SD浜松大会が、舘山寺で開催(参加者420名)

 昭和54年4月 日本スクエアダンス協会が発足し理事・中部支部支部長となる。

 平成元年10月29日 56才の若さで帰らぬ人となりました。

 スクエアダンスの普及と発展の為に、努力を惜しまない田中先生でした。

 


浜松スクエアダンス愛好会の歴史

1950年        田中康子:住宅の運動会でスクェアダンスを踊る。

1951年 9月    田中 理:立川から帰り住宅に住む。秋の運動会でスクェアダンスを踊る。

       名残町住宅の青年団活動の一環としてスクェアダンスを取り入れる

1953年 2月 静大工学部学生や他町からも愛好者が増えてきたので

       スクェアダンス活動を青年団から独立させて浜松スクヤーダンス倶楽部を結成する。

1955年 4月 三笠宮様、東京女子大講師として初講義される。

       清水市レクリェーション協会と交歓会を持つ。いろいろなフォークダンスを沢山習う。

       (斎藤 建氏との出会い) 

       会の名前を、浜松フォークダンス倶楽部と改める。

1956年 7月 日本フォークダンス連盟が結成される。

       田中 理:第1回全日本FD大会に参加。会と田中 理が全国表彰を受ける。

       (原田 裕・名児耶 貞・広田 等子の各氏との出会い)

       4月にマイケルハーマン氏一行が来日して、E・Rバックリー氏と共に全国講習会を行う。

       田中 理:共立講堂で3日間昼夜の講習を受ける。名古屋でも受講する

       五反田のFD教室へ毎月通う。(柳田・鬼塚・玉置各先生から指導を受ける)

       遠州病院の付属看護婦養成所へ指導に行く。(半田・志村先生との出会い)

       静岡大学にフォークダンスクラブを結成し、講習会を毎月開く。

        この頃、広田等子氏(西部元会長堤康次郎氏武姪)のお世話で、大磯ロングビーチホテルで

       原田 裕・玉置 真吉両先生を招待してのS・D、F・D講習会を開かれる。

       浜松FDCからも多数参加する。(米国の輸入盤で踊る)

        浜松でも両先生をお招きして、市公会堂で講習会が開かれる。

1957年 1月 第1回全国FD指導者講習会が開かれる。

       中沢善宏先生の幼稚園に泊まって、田中 理参加する。(西沢駿二コーラー)

     8月 第2回全日本FD大会が東京で開かれる。

       田中 理・康子参加、豊島園での在日米軍チームが、スクェアダンスを披露。

       講談社の講談で初めて三笠宮御夫妻とオクラホマミキサーを踊る。

1962年 7月 関東甲信越静サマーキャンプで大島に田中理参加 モダンスクェアについて色々な

       手ほどきを受ける。浜松FDCの例会でSDを取り上げ指導するが反対も多かった

1963年 3月 浜松スクエアダンスコーラーズ協会設立  会長 田中 理

       第1回のスクェアダンスビギナーズクラス開講する。(市体育館指導員室)

     9月 浜松で第1回目のSD例会を開く。参加者7名(下池川町公民館)

       第2回ビギナースクラスを開く。4セット(渥美薬局屋上)

       浜松スクエアダンス愛好会設立      会長 舘嘉博

      11月 第1回アニバーサリーパーティー開催(発足パーティー)

1964年 8月 第2回クールコールパーティー開催

     9月 第4回ビギナースクラスを開く。 6セット。

1965年 3月 第5回ビギナースクラスを開く。 8セット

     5月 舘会長、高山へ転勤

     9月 第6回ビギナースクラスを開く。 10セット。

       この回から100名の会員が集まり、いつも会場は満員になる。

1966年 5月 日本SD指導者連絡協議会結成(日本SD協会の前身)

1968年 1月 中部地区SD団体連絡協議会結成(事務局は豊橋SDC)

1969年 3月 第1回東海地区SDジャンボリー 600名

       浜松SDCからはバス2台で参加、大変な盛会であった。

1970年 4月 浜松スクエアダンス愛好会分裂 会長 田中 理

     8月 第8回クールコールを開く。終了後バス2台で万国博でSDデモンストレーション

       に出かけ参加する。(120名) 合計700名

1971年 3月 第3回中部地区SDジャンボリー 浜松開催

     4月 浜松SD愛好会:NHKラジオ・TVに出演。反響が大きかった。

1972年 3月 第4回中部地区SDジャンボリー 

     5月 第1回中部地区SD指導者研修会 三ケ日青年の家(100名)

       会報スクエアセッツ 第1号発行

       第11回日米交歓SD浜松大会370名 三笠宮様がお出かけくださった

       舘山寺遠鉄ホテルにて 420名

1973年 2月 第5回中部地区SDジャンボリー

     5月 第2回中部地区SD指導者研修会 三ケ日青年の家(135名)

      11月 浜松SD愛好会テレビ静岡でTV出演。「ゆかいな仲間」 

1974年 2月 第6回中部地区SDジャンボリー

     9月 第13回全日本SD三島大会 箱根ランド(589名)

1975年 3月 第7回中部地区SDジャンボリー 高山

1976年 3月 第1回中部地区SD指導者研修会 本町会館(浜松) 浜松SD愛好会主管

         第7回中部地区SDジャンボリー 豊橋

     8月 第14回クールコールパーティーを開く。(415名)本町会館

     9月 日本FD連盟20周年大会 浜松SD愛好会 優良団体として表彰される

    12月 浜松SD愛好会:テレビ静岡出演

1977年 1月 第4回中部地区SD指導者研修会 三ケ日青年の家(160名)

     2月 第9回中部地区SDジャンボリー

     9月 第16回全日本SD浜松大会   800名

1978年 4月 定例会場が遠鉄健保会館が西部公民館に移る。

     5月 第5回中部地区SD研修会    美合青年の家

1979年 3月 第10回中部地区SDジャンボリー  浜松

     9月 第18回全日本SD裏富士大会  富士急ハイランドパーク(806名)

1980年 1月 例会場が、曳馬公民館と青年婦人会館に移る。

     2月 第6回中部地区SD研修会    三ケ日青年の家

     3月 日本SD協会発足        日本SD指導者連絡協議会改組

       第11回中部地区SDジャンボリー  名古屋

1981年 3月 第12回中部地区SDジャンボリー  福井

       浜松SD愛好会はバス1台で出かけ途中、永平寺で座禅を組む

     8月 第19回アニバーサリィパーティを開く。(430名)エンパイヤ

1982年 2月 第7回中部地区SD研修会      富士宮市朝霧野外センター

     3月 第13回中部地区SDジャンボリー  静岡

1983年 1月 第20回アニバーサリィパーティを開く(410名)遠鉄ホテル

       20周年記念誌を発刊。

     2月 第8回中部地区SD研修会      美合

     3月 第14回中部地区SDジャンボリー  豊川

     9月 第22回全日本SD浜松大会     828名(愛好会109名参加)

1984年 2月 第2回中部地区有資格者研修会    林業青年の家

     3月 第15回中部地区SDジャンボリー  静岡草薙

1985年 2月 第9回中部地区研修会        三ケ日

       プラス例会を開く。(6セット)(3回)

     3月 第16回中部地区SDジャンボリー  岐阜

1986年 2月 第3回中部地区有資格者研修会    美合

     3月 第17回中部地区SDジャンボリー  福井

1987年 3月 第18回中部地区SDジャンボリー  清水

       浜松スクエアダンス初心者講習教室新テキスト発行

         第10回中部地区研修会       三ケ日

     5月 第1回ファミリーパーティを開く。青年婦人会館

1988年 1月 第25回アニバーサリーパーティを開く。

         25周年記念誌を発刊